今回の記事は、イスタンブールのアヤソフィアについて!
アルメニア、ジョージア周遊を終え、トルコ in。カッパドキア、アンタルヤ、パムッカレ、エフェソス遺跡、イズミル、トロイ遺跡を満喫した後は、いよいよトルコ最終地、イスタンブールへやってきました!
アジアとヨーロッパの交流地点であるイスタンブールは、見どころが沢山!一番人気のブルーモスクに並び、有名なのがアヤソフィア。
ブルーモスクが無料なのに対し、アヤソフィアは有料なので、嫌厭する人も多いかもしれませんが、それは間違い!アヤソフィアこそ、イスタンブールで絶対に訪れなくてはいけない場所です!
正教会として建設され、カトリック教会、モスク、そして博物館へと展望を遂げたこの建物には、キリスト教とイスラム教のイコンが入り混じっている、世界でも無二の場所。
そんなことが起こったストーリーもまた、面白い。本当にオススメです!
ということで、この記事ではイスタンブールのアヤソフィアの歩き方について紹介します!
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INDEX
アヤソフィアとは
アヤソフィアはイスタンブールの中心、ブルーモスクの正面に立つ博物館。
現在は博物館として使用されていますが、初めは4世紀にビザンツ帝国(東ローマ帝国)の大聖堂として建設されました。
その後、カトリック教会に改められ、さらに15世紀にイスラム教のモスクに転身。1935年から、博物館に姿を変え、現在の姿に至っています。
そのため、アヤソフィア内部には、キリスト教とイスラム教のアイコンが共存するという世界でも珍しい光景を見ることができます。
入場にはチケットが必要で、2019年現在、62リラ(1170円)。予約は必要なく、その場で買うことができます。
【穴場!】アヤソフィアのチケット購入は券売機がオススメ!
アヤソフィアの入場にはチケットの購入が必要。入場ゲートの前には、いつもチケット購入の長蛇の列が出来ているのですが、並ばずにチケットを買う方法があります。
券売機には全く列が出来ておらず、簡単にチケットを購入可能。購入後は、並ぶことなく、ゲートへ進むことができます。
券売機はこの辺にあります!
アヤソフィアの歴史をもっと知る
アヤソフィアは、世界でも類を見ないほどに、本当に面白い歴史を持つ場所。
歴史を知らずとも、その圧巻な建物に感動することはできますが、歴史を知っていると、面白さが更に倍増します。
東方正教会の総主教座として建立
当時、イスタンブールは「コンスタンティノープル」と呼ばれ、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の首都でした。
コンスタンティノープルには、コンスタンティノープル総主教座という東方正教会最大の格式を誇る主教座の一つがあり、その中心的役割を担っていたのが、アヤソフィア。
コンスタンティノープルの名前の元になっている、この地を征服したローマ皇帝・コンスタンティヌス1世の息子であるコンスタンティヌス2世によって建設されました。
【余談】
日本人にも馴染みのある「ローマ帝国」は、3世紀に東西に分裂。
西側のローマ帝国(イタリアやフランス周辺)は、ローマを中心に衰退と発展を繰り返し、今の西ヨーロッパ諸国の原型になります。そして、この西側のキリスト教が「カトリック」と呼ばれるものです。
一方で、東側のローマ帝国は、「ビザンツ帝国(東ローマ帝国)」と呼ばれ、コンスタンティノープル(後のイスタンブール)を中心に発展を続けます。そして、この東側のキリスト教が、「東方正教」。ギリシャ正教、ロシア正教、アルメニア正教、、などの大本です。
※面白いのは、西側よりも東側の方が何千倍も発展していたんです。なので、正確には東西に分かれたというよりも、西側(ローマ側)を捨てたという方がしっくりくる。
十字軍国家によりカトリック教会へ
13世紀に入ると、十字軍(ローマ軍)がコンスタンティノープルを攻め、ビザンツ帝国が滅亡。この地は、57年の間、「ラテン帝国」と呼ばれるカトリック国家、十字軍国家により支配されました。
1261年にビザンツ帝国に奪還されるまでのその間、アヤソフィアはカトリック教会として使用されました。
1261年の奪還時、床に施されていたラテン帝国皇帝ボードゥアン1世の碑文に、ビザンツ市民が唾を吐きかけまくったそう
イスラム教のモスクへ
そして、15世紀。オスマン朝のメフメト2世がコンスタンティノープルを占拠。
彼は、コンスタンティノープルの占拠にあたり、軍人達に「占拠後三日間の強奪」の許可を与えます。これにより、コンスタンティノープルの多くのキリスト教の建造物や財宝が破壊、強奪されます。
もちろん、アヤソフィアもその例外ではありませんでした。
占拠後の強奪が続く、アヤソフィアを訪れたメフメト2世は目を疑います。
現在においても「ビザンツ美術の最高傑作」と呼ばれる、アヤソフィアの建築技術や美術作品の美しさに驚愕。このアヤソフィアだけは破壊せずに、モスクに転用することをその場で宣言したそうです。
現在の姿、博物館へ
20世紀、オスマン帝国が崩壊し、トルコ共和国が誕生。
トルコの建設の父でもあり、初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクは、モスクとして使用されていたアヤソフィアを1934年に博物館にすることを決めます。そして現在の姿に。
現在、アヤソフィア内部では、宗教行事の一切を行うことを禁止しているそうです。
いざ、アヤソフィア内部へ!
いよいよアヤソフィア内部へ入っていきます!
最初の回廊の左奥には、ディスプレーがあり、アヤソフィアの歴史について紹介しているので、興味のある人は是非。
動画は英語のみです。そして内部へ入っていきます!
とにかく、細部の装飾が美しい、、
一番の見どころは、ここ。キリスト教とイスラム教のアイコンが一緒に見ることができます。アヤソフィアの歴史を象徴する場所です。
指を入れて、回すと何か良いことがあるような場所。(内容は知りません笑)
さらにアヤソフィアは二階へも行くことができます。
二階には、キリスト教時代のモザイク画をいくつか見ることができる。これが本当にすごい。
オスマン帝国による占領後、モスクに転用されたアヤソフィア。偶像崇拝を禁止しているイスラム教にとって、キリスト教のモザイク画をそのまま放置することはできない。
オスマン帝国のメフメト2世は、モザイク画を漆喰で覆い隠すことにしました。そして20世紀、博物館になった後にアヤソフィアの復興調査を行うと、多くのモザイク画を発見。
漆喰で覆い隠したことが功を奏し、保存状態の良いモザイク画を現在でも見ることができます。
キリスト教時代だけでなく、イスラム時代のデザインもとても美しくて、本当に面白い!
まとめ
ということで、イスタンブールのアヤソフィアについてでした!
見どころの多いイスタンブールで、僕が一番感動したのは間違いなくアヤソフィアです!歴史好きには堪らない!
激動の時代を生き抜いてきたアヤソフィア。時の権力者も、その余りの美しさに、宗教を超えて異教を保護する選択をしてしまった程。それほどの魅力を持っている建物です!
次の記事では、イスタンブールの歩き方について紹介します!
See you!
Always think easy, go easy.